がるの日記

セクシャリティなど、思ったことを書くための日記です。

その19〜手術〜

2023.11.15(水)の12時半頃

子宮筋腫の手術をした。子宮全摘出、開腹手術

 

前日(14日)に入院し、昼・夜ご飯は普通の病院食。

お腹を切る手術のため、下の毛を看護師さんがバリカンでカット。

 

15日朝から、水分摂取もなし。

点滴を刺して、腸内を空っぽにする為、

人生初の浣腸。

あとは、手術の順番を待つ…

 

12時過ぎに、そろそろ前の手術が終わりそうとの事で、手術着に着替える。点滴を吊るす棒を押しながら、看護師さんに連れられ手術室エリアへ歩く。

入口近くのイスに座り、手術室の担当者達と挨拶。名前確認などをされ、手術を行う部屋へ。

 

医療ドラマのような広い部屋、心拍などがわかるデッカいモニターがあり、中央のベッドに乗る。

 

硬膜麻酔を背中から打ち、全身麻酔をかけられる。

たぶん、麻酔科の先生の「終わりましたよー、お疲れ様でした」が最初に聞いた言葉かな。

ベッドで移動しながら、「癒着が多くて時間がかかった」「摘出した子宮は3キロ以上あった」と聞いた。

 

病室に戻り、看護師さんにお願いしてスマホを取ってもらう。時刻は、19時過ぎ。

母から、17時半頃に手術が終わった連絡来たとのLINEがはいってた。

その夜はいろんな管がついてるし、なんか落ち着かない状態で消灯時間。

 

16日 日勤の看護師さんと立ち上がる練習スタート→立ち上がれたが、貧血ですぐにベッドへ横になる。

手術が終わって戻って来たのが夕方だったしって事で、一旦休憩。点滴にほぼ真っ黒な鉄剤を投入されて、夕方に歩行練習再開。

廊下まで歩いて、ベッドに戻る。あとは少しずつ、歩く範囲を広げていいとの事。

 

17日、昼からご飯が再開。尿管から繋がってるチューブが外れて、だいぶ歩きやすくなった。

16時過ぎに両親が面会に来た。母に頼んだ暇つぶしグッズやら保温ボトルを貰い、しばし会話。父は全く喋らない。

 

18日、土曜日なので回診は朝だけ。外来エリアも人がいない。唯一空いてる院内のコンビニを中心に患者達がお散歩をする。私もその1人。

術後、シャワーを浴びてなかったので看護師さんに、「いつからシャワー浴びれるか」を聞いたら、準備をしてくれて入れる事に。背中の麻酔を取って、久しぶりのシャワーすっきりした!

 

19日、日曜日。退院時のお迎えを考えて、回診の時に目安を聞いてみた。「ドレーンと抜糸、診察をして、問題なければ20日の午後にでも退院」となり、翌日の午前中にドレーンを取り、抜糸(ホチキスみたいなのが付いてるから、抜鉤)をして、外来エリアで診察。その後退院って流れに。

 

20日(月曜日) いつものように9時頃に回診。婦人科の医師達と少し話して居なくなり、1人だけ戻って来てドレーン取り&抜鉤。20センチお腹を切ってるので、かなりの本数。思ったより痛くなかったが、本数が多いのとどのタイミングで呼吸するといいかわからずドキドキ。抜鉤が終わり、服を整えて外来へ移動。割と早く呼ばれて、手術の映像とかを見せてもらって、そのあと脚が開くイスに座って内診。もう一度説明を受けて部屋に戻る。取った子宮の写真を見たいと伝えていたので、写真と退院OKの連絡待ち。母が早めに迎えに来たので、談話室的なところで待っててもらう。担当の看護師さんが、退院OKの連絡がなかなか来ず「お迎えのご家族、お待たせしちゃってますね…」と心配してくれた。

 

お昼頃、全ての手続きが終わり。

久しぶりの外へ出ると、風が強くて寒い!

 

家の家事は母がメインなので、お手伝いくらいだけど…病院よりもやる事(やりたい事)があって、やっぱ家が1番だ!

 

離婚した事も、子宮全摘出も、結果的に良かったと思う。

その18〜変化

今年の1月、夫のお母さんが勤めている会社へ転職しないかと声をかけられ…スキルアップとしてはいい条件かと思い、転職をした。

夫のお母さんは、80歳の割にはしっかりしてるし元気だが…いろいろ物忘れも進んでる。

私を誘った事を忘れて、自分から転職したいと言ってきたみたいなリアクション。

 

何やかんや、研修とかをして…実際に稼働する営業所に配属になった頃、夫に「夕飯要らない」と言われた。私も忙しくなるタイミングだったので助かったが…7月になった現在も夕飯を家で食べない。

 

前から計画されていた私の兄の結婚式が近くなり、夫に参加で大丈夫かを確認した(会うタイミングがないのでLINEで)

 

すると、「ちょっと待って」との返事…

何か予定を入れてしまって、開けるためかな?と思ったら「急ぎじゃないでしょ?」と。

 

確かに、招待状には式の1ヶ月前の期日が書いてあった。そもそも、結婚式の招待状を期限ギリギリまで出さない人はマナーがなさすぎるし、失礼すぎる。私の兄だぞ、年齢は下だけど義理の兄だぞ。舐めてんのか…苛立ちを抑えて、「結婚式の招待状は、なるべく早く返すのがマナー。私の兄の結婚式で、後回しにするのは私にも失礼」と返すと…

 

『その前に、この結婚生活を続けたいですか?』って、LINEでこの話を続けるのはどうかと思ったので、会って話す事を提案。次の土曜に話し合おうとなった。

予想外だったのが…同じ家に住んでるのに、現地集合・現地解散。

 

夫から「結婚して、楽しかった事とかありますか?」と質問。

私「会ってなさすぎて、何にもない。しいてあげるとすれば、プロポーズの時の指輪は嬉しかった」

夫「結婚前でしょ?してからは?」

私「全然会ってないんだから、ある訳ないでしょ」

夫「この生活を続けたいですか?」

私「私は、そっちの意見を聞きたいです!」

夫「……………………………結婚したメリットを感じない」

私「メリット?」

夫「結婚前と何も変わらない」

それは、お前が変えてないからだろ。

私に歩み寄ろうとしてないじゃん、自分の都合だけじゃん。

 

その後、お互いの直して欲しいところって話になり…私は、遅く帰ってくるんだから静かに動いてほしいと伝えた。

夫からもいろいろ出るだろうと、掃除とか洗濯とか。何にも言わない。

さっきのメリットってのは、掃除洗濯をしろって事ではないのか?

 

結婚って、プラスな事ばっかりじゃないだろ?

幻想抱きすぎだったんじゃないの?

 

夫との話し合いは、モヤモヤする感じで終わり…「とりあえず離婚の方向だが、時期とかについては要検討」って感じで終わり。夫が離婚届について調べる事になった。

 

話し合いから3日後、記入済の離婚届が私の寝室に。しかも、証人に義母の名前がある。

 

義母とは、退職後も仕事で会う事があり…離婚届を置かれていた2日後が義母と一緒に仕事をする人だったので、夫がなんて言ってたのか聞いてみた。

 

義母に経緯を説明し、証人を書いてもらう時になんて言われたのかを聞いたら↓

夫「離婚するかもしれないから、書いて」

義母「書くけど、ちゃんと話し合って決めなよ」

ってやりとりがあったんだとか。

 

理由をはっきり聞いてから、証人書こうよ…

夫も、私仕事辞めてあんたの母の仕事継いだのよ?報告なしかよ。

 

義母には、自分の夫婦の話をされ…時代的に、亭主関白が普通だったし、夫はそれを見て育ったと…許容が大事だと終始言われたが、まず夫が歩み寄ろうとすらしてないのだから許すもないも…全て自分事しか考えてない。

記入済離婚届の事を置いた理由を夫に聞いたら、「話し合いでそう言う事になりましたよね?」ってさ、もうこれ以上話すつもりはないのね。

 

わかったよ。少しでも毎日顔を合わせていれば、家族って感覚にもなれただろうけど…ルームシェアの人くらい。

 

会わなければよかった、籍を入れなければよかった。

 

今の職場の人達に会えたのは、義母のおかげだけど…夫への感謝はないな。

 

ってか、夫っていう感覚すらない。

 

記入済の離婚届に、私の情報を書いて渡せばきっとすぐに提出するんだろう。私の都合なんて考えもせずに。苗字が変わるし、手続き大変なのに…

その17〜新生活とモヤモヤ〜

しばらく更新をしていなかったうちに、凄くいろんな事があった。

 

2022年8月8日に、ゲイ自認の男性(13歳年上)と友情結婚をしました。

新居を決め、籍を入れて…私が2週間程の入院をし、夫が新居へ引っ越し。退院後に私も新居へ。

 

同居し始めておおよそ1週間が過ぎたが、恐ろしく生活リズムが合わない。

私は朝型人間、夫は完全に夜型人間。

夫は一人暮らしが長いからか、家事はいろいろ出来る。

寝室を別々にしたから、ある程度個人の時間は取れるんだけど…私が寝る頃に何か作業をする音がしたり、夫が作ってくれたサラダ(タッパー入り)を食事をした箸🥢でそのまま食べたり。

 

昨日、生活費(貯金)の相談をしたんですが…

夫が家賃・駐車場代(2台分)を出しているので、生活費系は私がという分担にしたいのだが、現在就活中で生活費がキツい。あと、今後の為に貯金もしたいと話したが…イマイチ納得してなさそう?

 

何かあるなら、言って欲しい。言えないのか?

前に、子供は欲しいって言ってたけど…貯金に抵抗があるって事は、あんまりちゃんと考えてないのか?

 

めちゃくちゃモヤモヤしたが、とりあえず昨日は共有口座のようなものを作って、お互いに月3万ずつ入金するって事で落ち着いた。

 

お互いセクシャルマイノリティだから、子供👶が欲しいかどうかって事は、なかなか普通の夫婦と違う感覚だと思うんだが…婦人科の病気を持っているし、出産は簡単なものではなく命がけな事。

子育て経験ないけど、周りの人達を見ていると大変だと思う。歳の差もあるし、仮に子供が産まれたとして…こちらに全部任せるつもりか?

ちゃんと考えてるのか?とモヤモヤする。

その16〜3月11日

2011年3月11日14:46

当時、私は働いている美容室でお客様をシャンプー台にお連れして、椅子をリクライニングさせた瞬間だった。

私が勤めていたお店は…主婦層の方が多く、ほとんどの方が仕上げ間近だった為、支払いは後日としてお客様はお帰り頂き、

スタッフはオーナーが「別店舗の状況を確認してくるから、戻ってくるまで待ってろ」との事で、近くのスーパーの駐車場で待機。

数時間経ち、暗くなってきた事もありオーナーが戻る前?に解散に…

自宅から車で10分程の場所だったけど、帰り路にガソリンスタンドが2軒あるので長蛇の列。

 

なんとか自宅に帰ると、母は近所の小学校へ避難していた。(当時、父・兄2人はそれぞれ東京などに行っていて無事)

たまたま中学時代の先輩が教育実習で母校に来ていて、先輩達と協力して避難所を環境改善?運営みたいなのをしていた。

 

電気ガス水道のライフラインは、ガスが1週間程使えず…オール電化の知人の家でお風呂を借りたり、なんとか手に入れた食品をおすそ分けしたり。

 

9年前とは、状況も変わっているし…備蓄すべき物もその量も変わっている。

私の住んでる地域は地盤が強く、勤務地も近いけど…「もしも」の時の備えは、その都度変更したり、

ローリングストック(いつも使う物を多目に買って、使いながら備蓄する方法)をする必要があるなと思う。

 

9年前から続けている習慣として、

・常にケータイのバッテリーを持ち歩る

・「もし、この場所で地震に遭ったら…」と出かけた先で少しでも考える。

・腐らない物は、多めに備蓄する

 

2011年からの9年間は、私個人としても、大きな転機になったと思う。

地元を離れて、東京でひとり暮らしをした事が大きい。

 

決定的な理由ではないけど、東日本大震災がキッカケである事は、間違いないと思う。

 

 

その15〜再び、地元で暮らし初めて〜

11月末までは、有休消化だったので…何となく遊び回ったりとかっていうのも出来ずだったけど、

12月に入り、アルバイトを初めて…なんだかんだ充実している思う。

 

そろそろ、冬のボーナスの時期だけど…当然もう在籍していないのでボーナスはなし。

父親に「あと1か月、働いてたらボーナス貰えたのに」と言われたけど…

前の会社で働き続けるのじ限界を感じていたから、無理だったと思う。

 

あと、高校時代からの友人の紹介で同い年の男性と会う様になった(10月中旬の話)

友人から異性を紹介された事はいままでなかったし、友人がお世話になっている方からの依頼?で困っていたみたいだから…

(まぁ、会うくらいならいいか)と軽い気持ちで紹介をしてもらったんだけど、

苦手なスカートを履いたりせず、自然体で会えてえるのがいいと思う。

 

友人が言うには、本当は他の人を男性に紹介するつもりだったけど、紹介するつもりだった人がいつのまにか婚約してたらしく…

あと、友人から紹介された男性も『同じ県内に住んでる人で、タバコを吸わず、お酒があまり強くない人がいい』と思っていたらしく、

お互いに思っていた条件が一致していた。たぶん、束縛をされたくないってところも同じだと思う。

ちょうど、地元に戻ってくる所でだったって事もあるけど…紹介する予定だった人が既に婚約者がいたとか、

いろいろタイミングが良かったぁと感じる。

 

恋愛感情が薄いから、「好きかも?」とかはわからないけど…

一緒にいて楽しいし、仕事とかスポーツとかも頑張ってる人だし、かなり好感を持っていると思う。

 

今まで〔いいな〕と思った人には、だいたい告白とかの前のタイミングでフラれる…

恋愛感情が芽生えてなくても、フラれるのはやっぱり辛いし_(┐「ε:)_

 

今までと違うのは、『頑張って連絡を毎日取ろうとしない』ってところかな

何気ない内容でも、毎日連絡を取っていると間隔的に《付き合ってる》かの様な気持ちになっちゃうし、

マッチングアプリみたいなのも、登録はしないことにした→ここで、いい人に会うのは難しい

 

 

その14〜引越し〜

 

今年の働いていた会社を9月末に最終出勤となり、有給休暇が38日あるので

それを消化したら退職(11月末で、退職)

 

ちょうど、住んでたマンションの更新のタイミングだったので、

更新せず満了の前日に明け渡し、その後最終出勤日まではホテルとお友達の家に泊まり

スーツケースに、数日分の荷物を入れて過ごしました。

 

上京したのが、2012年の冬

地方とは違って、便利な事が沢山あるし…いろんな人が居るからこそ

周りの人達も他人の事をあまり気にしないし、良い部分でもあり、悪い部分でもあり…

ライブに行ったりとか、1人で出かけたりとか、地方にいるとなかなか出来ない感じだけど

自由ではあったと思う。

 

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今年の5月末頃から転職を考えていて、いろいろと応募したり面接受けたりもしたけど…

なかなか上手くいかず、母に相談し地元帰ることにした。

あと1年で東京オリンピックで、しかも住んでた地域はマラソンのコースが近いから、

チケット持ってなくても観れるようなところだったけど…

その頃まで同じ職場で働いてるのも辛かったし、なによりも両親が実家に戻る事を受け入れてくれたのが大きかったと思う。

 

東京で出来た友達と離れる事は、辛かだだけれど…会えない距離じゃないし

もう東京に行かないってわけじゃないし、相手が会いたいと思ってくれれば会えるだろうし

私も東京に遊びに行く事もあるだろうし

 

最終出勤日に、挨拶したい人にはきちんと挨拶出来たし。

もう会いたくない人には会わなくて済むし(^^)

 

引越しから最終出勤まで、思っていた以上にスムーズに進んで良かったと思う。

 

振り返ると、7年間いろいろあったけど、良い経験が出来たと思う

今度は、地元で出来る事を頑張っていきたいと思います(о´∀`о)

その13~交流会~

この日記でも以前に書いたなかぷろ交流会が、私の地元・仙台でつい先日初開催され…

開催前から声をかけてもらって、スタッフ兼参加者な感じで参加させてもらった。

 

東京とかに比べて、地方は「多様性」への理解が乏しいし…当事者(当事者かも?な人)達が交流会をする場所は少ない。

 

私自身、自分がおかしいんじゃないか…と思ってた時期もあるし

 

思っている事を話して、「え〜、ウソ?!」とか「可哀想」と言われると暗示の様に染み付いてしまう。

 

なかぷろ交流会は、ルールとして相手を否定する・相手を断定して話す事がNGという事もあるかもしれないが…めちゃくちゃ肯定されるのも戸惑うけど、否定されないのはやっぱりいいなと思う。

 

東京での交流会に比べると人数少なかったけど、その分しっかりと話が出来たと思う。

 

もっと気楽に話が出来る空間が当たり前にあればいいのになぁ